13日(月)〜15日(水)まで冬休みを頂き、母の郷の長野県下伊那郡阿南町新野、の雪まつりに行ってきました。
『雪祭り』というと札幌の氷の祭典を思い浮かべる方が多いと思いますが、私にとっては新野の雪まつりが頭に浮かびます。
といっても、冬は寒いから帰りたくないという母。子どもの頃は一度も冬に行ったことがありませんでした。
でも雪祭りを観てみたいな〜、とずっと思っていて20歳位の頃初めて一人で行ってきました。
道中も飯田線に揺られるしんしんとした時間、とても心地良かったのを覚えています。
伯母さんに案内してもらい、気合いを入れてのぞむもあまりの寒さと眠気に負け、いとこやいとこの娘さんたちが夜通し笛を吹いている中、何時間も観て居られなかった。ぜひまた行きたいなと思っていたのです。
夏の盆踊りも三晩夜通し踊り続ける新野のお祭り。この雪祭りは、神楽です。村の男の人たちが役をもらい、夜中から朝まで神が踊ります。その歴史はなんと600年!
【阿南町ホームページより】
新野(にいの)の雪まつりは、雪を稲穂の花にみたてています。大雪(=豊年)を願う祭りで、伊豆神社境内でとりおこなわれます。田楽(でんがく)、舞楽、神楽(かぐら)、猿楽(さるがく)、田遊びなどの日本の芸能絵巻が徹夜で繰り広げられます。能や狂言などの伝統芸能の原点とも言われ、古代芸能を研究する人々に深い示唆を与えています。
私が観たのは13日の夕方、諏訪神社でのささらと、14日の夜中から5時頃まで。前回よりは観られたけど、うーん、次は休憩所も使ってもうちょっと長く、踏み入れたい!
新野の雪まつり、いとこの写真もお借りして、色んな雪まつりの記述も読みつつ、紹介していきますね。
新野の街は、高台に登るとほぼ一望出来ます。飯田から山道をぐんぐん行って、標高800m、山間に広がる小さな平野。新野の南西にある伊豆神社と北西にある諏訪神社で行われるお祭りです。(なかなか地図に諏訪神社が載っていないので書き足しました。)
13日の早朝、伊豆神社から諏訪神社へ向けて歩く「お下り」が始まります。
1時間半程でしょうか。諏訪神社へ到着すると、精進料理で朝食(と熱燗!)だそうです。
そして諏訪神社の境内にて例祭が始まります。
場を清める、ささら。舞の練習が繰り返し行われます。夏の盆踊りではお囃子はなく声だけで三晩踊るのですが、冬の雪まつりは太鼓と笛のお囃子があります。
現在、村で唯一笛を作っているのが、伯父だそう。(最近知りました!)母のいっとう上の兄です。従兄弟たちも笛を吹きます。独特の調子。
そしてお昼前頃、お宣明 (神降ろし)が始まります。日本中の神様を諏訪神社にお呼びするそうです!
道の駅「新野千石平」のブログより、youtube発見。2011年の雪まつりです。
そして祭りで舞う役決めのおみくじが始まります。まずは、お面の入っている神棚のご開帳。この部屋には祭りに参加する人しか入れません。
人気のあるサイホウ、モドキ、競馬(きょうまん)などの役を決めるおみくじです。
名前を書いてある紙の上を箒のようなもので祓うと紙がくっついてくるので、くっついた人がその役に決まります。
その紙は役が決まった人が食べちゃうそうです。
今回、従兄弟の仁志くんに人気の競馬(きょうんまん)が降りました!
役決めの後は、お滝入り。競馬役の人も滝に打たれ身を浄めます。
寒そう。。ここで大体15時〜16時位。
この後また諏訪神社へ戻り、リハーサルは続きます。
万歳楽
まつりを行う人々は、神職の他に、内輪衆、上手衆といった集団です。また氏子の中から「平(ひら)」、奇数年齢の少年の「後立(ごだつ)」、奇数年齢の少女の「市子」といった役割があります。
基本的に女の人は入れません。市子のみです。男性は毎年出られますが(身内に不幸があった人は遠慮するそう)、市子は一生に一回だけなんだそう。
夕方までリハーサルが続き、最後にお面の塗り直し。
面化粧
「面に新しい命を入れる。
朱は砥の粉、白は胡粉、黒は墨。
面に触れられるのは、お滝入りして、身を潔めた舞人だけである。
息のかからないように、含み紙をくわえる。」
これで13日、諏訪神社の例祭は終いです。
大体終わったのが18時頃でしょうか。私はこの日新野に到着。お滝入りに間に合わず、夕方1時間ほどささらを境内で観てきました。装備が足りず(寒い!)、面化粧の前で退散、伯母さんの家へ行きました。
14日、伊豆神社へ続く。。。